3月20日、シドニー北側に建った新築オフィスタワーのロビーにカフェが一軒開いた。平日に八時間だけ売り、週末は閉める。運営は社会的企業で、利益の半分は開店前から店の外へ出ていくと決まっている。上階はまだ半分も埋まっておらず、この地区のオフィス空室率は23.7%。それでもこの店の客は上から降りてこない。
1.住所はノースシドニー(North Sydney)ミラーストリート(Miller Street)155番地、Vic Xタワー2階ロビー。店名はThe Fold、開店は3月20日。平日は朝七時から午後三時までの八時間で、土曜と日曜は閉める。運営はシドニーの社会的企業Two Good Co。
2.建物はVictoria Cross Tower。42階建てでオフィスの純賃貸面積は5万5,315㎡、設計はBates Smart、開発と施工はLendleaseが担い昨年第4四半期に竣工した。正式な開業は3月12日。ガスを一切引き込まない全電化の建物で、地下にシドニーメトロのビクトリアクロス駅(Victoria Cross)がそのまま接する。
42階・5万5,315㎡Bates Smart設計、Lendlease開発。真下でメトロ駅と直結する。ⓒGreen Street News
3.上階の事情は良くない。開業時点で賃貸借が確定した面積は40%を少し超えた程度で、その最大の塊がNBN Coの六フロア約9,000㎡だった。ノースシドニーのオフィス空室率は23.7%。着工した新規オフィスが一件もなく、2029年まで新規供給はないというのがこの市場の見立て。ロビーのカフェから見れば、上階の客がまだ半分も入居していない。
4.内装設計はメルボルンのFiona Lynch Officeが担った。開発会社も運営会社も、このロビーをブティックホテルの到着階になぞらえて説明する。カフェの隣にはThe Landingが付き、催事と展示と共用の仕事を一部屋で受ける構成。開業に合わせてBVNと作った設置作品と、ジェス・リンジー(Jes Lindsay)とペトリナ・ティンズレイ(Petrina Tinslay)の写真展を掛けた。
カウンターと陳列注文台の脇にパンと商品を並べた。座らない客が通りがかりに取っていく場所だ。ⓒNorth Sydney Living
隣室のThe Landing催事と展示と共用の仕事を一緒に受ける。カフェが売れない時間をこの部屋が売る。ⓒNorth Sydney Living
5.厨房はアイシェ・ムーネン(Ayse Moonen)が握る。Aplentyを経てCornersmith Picklery で漬物の教室を持っていた人。看板はピタに折り込むフォールドで、ラムのキョフテにレモンスマックのスローとタヒニとピクルスを載せ、あるいは炭で焼いた茄子にタヒニを回す。パンはBaker Bleuから仕入れ、そのまま小売にも出す。コーヒーはSingle O。
折って出すピタを半分に折ったフォールドが看板。パンはBaker Bleu。ⓒTime Out
6.この組み立てが口の中でどう転がるかは見当がつく。ピタを折れば内側の面が先に肉汁とタヒニを吸い、外側は乾いたまま手に残る。スマックの酸味とピクルスの酸はラムの脂を断つ位置に置かれ、炭で焼いた茄子は甘みが上がるあいだに質感がほどける。皿ではなく手へ渡る形式だから、席を長くは押さえない。八時間だけ売る店がなぜこの形式を選んだかが、ここに出ている。
7.コーヒー側も同じ計算だ。Single Oは2003年からシドニーで焙煎してきた名前で、2019年にサリーヒルズ(Surry Hills)の店へセルフのバッチブリュータップを置き、カードをかざしてボタンを押せば十五秒で一杯が満ちる。朝のピークをエスプレッソマシン一台で受けないための装備。開店に合わせてはコロンビア・エルタンボ(El Tambo)の女性生産者組合ASMUCAFEの豆を限定で掛けた。浅く焼いたコロンビアのウォッシュトは冷めるあいだに酸が前へ出るが、ミルクを混ぜるとその位置がキャラメル寄りに沈む。
タップから受けるコーヒーSingle Oが2019年にサリーヒルズへ置いたセルフのバッチブリュータップ。カードをかざしてボタンを押せば十五秒。ⓒBroadsheet
8.この店が急にできたわけでもない。Two Good Coは2024年8月から同じ敷地の路地にコーヒーカートを出しており、その月が駅の開業月にあたる。カートで十九か月回した後にカフェを建てた。需要を先に測り、資本を後から入れた順序。
9.客がどこから来るかも、そのカートが先に教えたはずだ。ビクトリアクロス駅は2024年8月19日に開業し、翌年2月には朝のピーク時間だけで1万1,400人が改札を通った。2036年のピーク予測は1万5,150人。2階ロビーは、その流れが地上へ上がる通り道に座っている。
下の階の背後需要2024年8月に開いたシドニーメトロのビクトリアクロス駅。朝のピークだけで1万1,400人が通る。ⓒCox Architecture
10.売る時間は短い。平日八時間を五日で年に2,000時間ほど、週末まで開ける町のカフェの3,200時間と比べれば三分の二に届かない。賃料と減価はその事情を汲まない。閉めた二日分は誰が払うのか。
11.人件費のほうがさらに重い。オーストラリアの最低賃金は7月1日付で時給26.44豪ドル、日本円ならおよそ2,600円の水準へ上がり、飲食のアワード料率も4.75%それに続いた。そこへこのカフェはWork Workの参加者を現場に立たせる。家庭内暴力と路上生活と複合的なトラウマを経た女性を訓練しながら使う仕組みなので、同じ一杯を抽出するのに監督が一人余計に付く。
訓練しながら売るTwo Good Coのケータリング厨房。Work Workの参加者が現場で仕事を覚える。ⓒTwo Good Co
12.数字を立ててみる。常駐を五人と置き、仕込みと片付けを足して一日五十人時、平均時給32豪ドルで見れば年の人件費は40万豪ドル。日本円でおよそ4,000万円。人件費を売上の32%に置けば年商は125万豪ドルで、営業日250日で割ると一日5,000豪ドル。すべて公開資料と業界の通例から立てた推計であり、店が明かした数字ではない。
13.コーヒー一杯6.5豪ドルとフォールド一皿20豪ドルを混ぜ、客単価を14豪ドルと見れば一日357人、八時間で割って一時間あたり四十五人。上階だけを見てこの数は出ない。満室でも4,600人ほどの建物で40%しか入居していないから1,840人、その五人に一人が毎日来なければならない計算。下の階の改札を入れると、同じ数が3%まで下がる。
上ではなく下を見た入居率と駅の利用者は公表値、人件費・客単価・必要人数は業界の通例で計算した推計である。
14.一杯の外から来る金も、この店では傍流ではない。隣室のThe Landingが催事と展示を受け、ケータリングが上階の事務所へ出て、建物のコンシェルジュ運営までTwo Good Coが担う。Baker Bleuのパンと自社商品は席を使わずに売れる。カフェが売れない週末と夜は、この欄の取り分。
閉めた時間を売る欄カフェの売上は八時間に閉じ込められ、ケータリングと運営契約はその外から来る。
15.貸主が何を買ったのかも併せて見たい。この会社は2015年6月にロブ・キャスリック(Rob Caslick)とカヒル・フラハティ(Cahill Flaherty)が弁当売りから始め、一つ売れば一つをシェルターへ送る方式で、これまでに送った食事は19万食を超えたと会社は言う。寄付で受けた金ではなく調達契約で伸びた会社で、Charter Hallと結んだ社会的調達の契約一件が2024会計年度に年100万豪ドルを超えた。A級オフィスのロビーを得たのは善意の結果ではなく営業の結果だ。
2階ロビーの席メトロの改札から上がってくる動線の上に座った。ⓒTwo Good Co
16.利益の半分を差し出すと決めたカフェが、シドニー北側の新築タワーで最も良い場所を得て、扉は週40時間しか開かない。上階はまだ40%しか埋まっていないが、下の階の駅が朝のピークだけで1万1,400人を吐き出すので、一日357人なら算術は合う。韓国で先に引っかかるのは、ロビー一階の値の付け方だ。オフィスのロビー区画は最高額を書いた借主へ渡り、社会的調達や認証の点数を賃料の割引へ換えて書き込む項目が現地の賃貸借慣行にはない。その項目を作れないかぎり、この仕組みは貸主の善意だけで回る。
改札からロビーまで駅とタワーが一体で建っており、乗客は地上へ出ずにロビーへ届く。ⓒCox Architecture
八時間の席平日は朝七時に開けて午後三時に閉める。それ以外の時間は隣室と契約が売る。ⓒNorth Sydney Living